修士論文の主題にこのCPS研究を取り上げた私は、アメリカ社会学界と政治学界の活況に驚きながら二冊を読み進む毎日であった。この当時は両書とも翻訳が出ておらず、原著を少しずつ読みながら、一方では膨大なCPS関連の雑誌論文も目に通して、大学院の都市社会学ゼミで発表したりしていた。
社会学的知識の幅を広げる
ただ数年間英文のCPS研究に拘ったおかげで、社会学における実証的方法論の重要性、権力、コミュニティ、デモクラシー、社会システムという社会科学において中心を占める概念にも研究の幅をやや広げることができたし、デビュー作にもその成果を取り込めた。
CPS論争では、都市の権力はごく一部の権力エリート層が掌握しているというハンターが見出した権力構造が共有される反面で、産業、教育、労働、福祉などの分野ごとに勢力をもつ人々は異なっているというダールの示した結論も支持されていた。両派ともにアメリカやイギリスそれにメキシコなどでの都市調査を踏まえて、実証的なエビデンスを掲げて対立が激しかった。
異なった「権力」(power)の位置 づけ
その主原因は、社会学者と政治学者の間で「権力」(power)の定義が違っていたからである。
権力エリート論者のそれはウェーバーの「優越する意思力」を強調する「強制面」に重点がおかれ、対抗する公共面や調整面の権力が持つ機能を重視するパーソンズ流の権力多元論者(当時から私はpluralismを多元主義派と訳さなかった)では、どこまで行っても平行線のままであった。
さらに、ともに「都市デモクラシーの現状分析と現実認識」を論題にしているはずなのに、研究成果がその分析と評価を含んでいないと次第に感じるようになり、次第にコミュニティ・アクション研究にテーマを移した。それが「Ⅴ コミュニティ運動・参加理論」につながった。
コミュニティの定義
3年間ほどこのようなコミュニティ研究をするうちに、自分でもコミュニティを定義したいと思うようになった。問題意識として、コミュニティはなぜ必要か、コミュニティは何の役に立つのか、コミュニティはどのような状態にあるか、コミュニティをどう創り出すのかなどを考えて、実態面と理念面を往復運動するなかで、定義そのものへの関心も強くなったのである。