それは、人口集中と人口密度の高さそれに人やモノの激しい動きで象徴される「都市化」によって引き起こされる社会問題、すなわち人間疎外、孤立と孤独、生活不安などの人間の精神面や関係性の処方箋として、またいじめや自殺や犯罪予防の観点から、さらに公害などの環境汚染を阻止する住民運動のなかから、それぞれでコミュニティづくりが処方箋として探求されていたことも理由としてあげられる。
『コミュニティの社会理論』の主内容の縁と運
本書の主内容は、「Ⅳ コミュニティの権力理論」、「Ⅴ コミュニティ運動・参加理論」、「Ⅱ コミュニティ論の地平と問題」、「Ⅲ コミュニティの計画理論」、そして「Ⅵ コミュニティの社会関係論」などを主題としている。
通常の配列では、コミュニティ論の現状を論じる「ⅡとⅥ」が最初に来て、次にコミュニティ内部の勢力関係や運動・参加をまとめた「ⅣとⅤ」になり、最終的に都市をどのように計画的に改善していくかという「Ⅲ」が最後におかれるはずである。それがやや異なったのは、私の大学院での研究の主力がこの順番だったからである。特に「Ⅵ」には膨大な文献が内外ともに山積していたから、全体像を見渡すまでに時間がかかったからである。
「どうしたらいいのか」はコミュニティ権力・勢力の問題につながる
しかし1950年代中期から70年代末までのアメリカのコミュニティ研究では、「都市デモクラシー」に関連する実証的テーマとして「コミュニティ権力構造」(CPS)研究をめぐり、膨大な著書と論文が量産されていた。
その嚆矢は都市で「権力エリートの集中と支配」を発見したハンターのCommunity Power Structure(1953)であり、この研究成果への根底的な批判が政治学のダールが刊行したWho Governs?(1961)に集約されていた。ダールが「権力エリート」ではなく都市政策分野ごとに異なる「リーダーの存在」を証明した前後から発生した学術的大論争は、まことに熱気溢れるものであった。