まずこの問題を考えていくうえで大事な価値観の問題として、そういう「現場レベルの優秀性を発揮してくれる存在」をインテリが「可愛そうな存在」だと思い始めるとすべてがオカシクなってくるってことです。
欧米社会はそこで、「インテリ以外の階層をインテリが心の中で見下して」いて、「大した価値を生み出せるはずがない」的な前提が暗黙のうちにかなり強固にあることが、余計に社会を「病ませる」効果を持ってるところがある。
これは、先日この記事で書いたように、ハーバード大教授のマイケル・サンデル(”ハーバード白熱教室”の人)とフランス人経済学者で思想家のピケティ(”21世紀の資本”の人)の対談本でも触れられていた事なんですが・・・(以下は対談本からの引用)
エリートに対する反発の大きな原因は・・・これはトランプへの投票にあらわれていますし、ヨーロッパでも似たような人物への投票に見られますが・・・労働者や大卒でない人たちの多くが、エリートに見下されている、自分たちの仕事の価値をないがしろにされている、という感覚を抱いていることです。 これは先程お話した、主流派政党が不平等を主に高等教育による個人の社会的向上を通じて解消しようとしてきたことにも関係しています。われわれはまず、個人が高等教育を受けて社会的に地位向上することが不平等解消の正解ではない、と認識することからはじめるべきです。
実際にはマクドナルドの店長とか働いてるスタッフの人は大卒であることも多いと思いますが、とにかく「そういう現場で働いてる人」を「可愛そうな存在」的に扱う価値観が蔓延するのがまず良くない。
「それぞれの持ち場」で「それぞれの優秀性」を発揮して、同じ社会を共有して生きているのだ、という前提が壊れ始めると、社会の末端がどんどん殺伐として来ることになる。
そこには「インテリ世界の仕事と現場の仕事に優劣はなく、平等にそれぞれの価値を持つ仕事というのがある」というふうな価値観が(まだ一応は)あることが日本社会の大事な美点だと思いますが、それを今後も維持し続けることが第一に重要なことだと思います。