たしかに、今まで20年間のデフレ時代にはそれで良かったけど、インフレ局面に入った昨今には、

「こういうオペレーショナルエクセレンスだって”無料”で実現してるんじゃないんだぞ」

…的な疑問が生じるようになってきて、何か真剣に今考えるべき課題がある情勢になっている。

そのことが逆に今この「庄内マクド」現象がSNSで突然火がついたりしている深層心理的な遠因にもなっているところがあるように個人的には感じています。

4. 「庄内マクド」が突きつける日本社会の分岐点とは?

つまり、ここにある「分岐点」というのは、

・今後の日本はそういう「低賃金労働者にまで高いクオリティを求めるのは辞める」ことで、「大当たり店舗」なんかはなくなっていき、日本社会の清掃の行き届き方も徐々にグダグダになっていく、ある種の「社会のアメリカ化」を受け入れるしかない

という方向に行くのか?それとも!

・このタイミングで色々な算段を組みあわせることで、日本社会の”現場労働者の優秀性と自己効力感”みたいなものを維持し、高級エリア以外でも最低限の清潔さが保たれていて、治安もいい状態のまま今後もいられる道を進む(新しい日本的な価値の明確な追求の道を進む)

のか・・・っていう『分岐点』なんですよ。

つまり「際限のない社会のアメリカ化を受け入れる」のか、「新しい日本的な価値を明確に定義してそれを実現しようと頑張る」のか、どちらかを選べ、というタイミングに来ている。

どっちつかずにダラダラと曖昧にしているだけで今までの「平成的にまどろんだような平和」が続くようなことはありえず、今わたしたちが明確な意志を持って後者を選ばない限りは、ただダラダラと掴んだ砂が手のひらからこぼれ落ちていくように

「社会の末端が果てしなく殺伐としてくるアメリカ化の呪い」

…を受け入れるしかなくなってしまう。

どうやって「現場レベルの人材の効力感」を維持したまま、日本社会らしさの価値を未来にもつなげていけるのか?について、今まさに色々と考えなくちゃいけないことがあるんですね。

5. 「彼らは可哀想な存在」ではない