1999年、「かりゆしホテルズFC」として発足した沖縄かりゆしFC。元日本代表のレジェンド、ラモス瑠偉氏を選手兼テクニカルディレクター(TD)として招聘し順調にステップアップを続け、沖縄県社会人リーグに所属するサテライト組織「かりゆしサウシーシャ」やユースチームも備えた。天皇杯の常連でもあった。

2002年には九州リーグで優勝したが、全国地域サッカーチャンピオンズリーグ(地域CL)で敗退し、あと一歩のところでJFL入りは逃した。同年、ラモス氏を解任すると、所属選手22人中21人が退団してしまう。その選手たちが中心となって結成されたクラブが、現在、J3を戦うFC琉球だ。

クラブはその後、元日本代表DF加藤久氏がGM兼監督に就任。多数の新加入選手を迎え再スタートを切ると、九州リーグを連覇し、天皇杯1回戦ではJ2サガン鳥栖を破った。

しかしその最期はあまりにも呆気なかった。2004年、スポンサーのかりゆしホテルグループが撤退を表明すると、加藤監督以下、所属選手27人全員が退団。下部組織の選手113人全員も退団し、「ヴィクサーレ沖縄」を設立した。

スポンサーを失った沖縄かりゆしFCは、それでも奮闘を続け、2008、2009シーズンと九州リーグを連覇する。一方で、運営費のメドは立たず、給与遅配も起き、受け入れ先企業も見付からず、2010シーズンを前にクラブ解散が決定した。スポンサーを単一企業に頼るクラブの危うさを示す典型例となってしまった。


福島FC(1997年解散)

ホームタウン:福島県郡山市

1951年創部の「福島教員団」を母体とし、1982年に国体教員の部廃止に伴い「福島FC」に名称を変更。1993年にJリーグが創設されブームが巻き起こると、「福島県にもJクラブを!」という機運が高まり、本格的な強化策が取られるようになった。