一方、日本では先に述べた文化的背景により「福祉=最終手段」「支援を受けるのは甘え」という空気が根強く、利用そのものに罪悪感や恥がつきまとうため、支援が活用されにくいのです。
また欧州では、学校や地域にソーシャルワーカーが常駐しており、家庭や本人に変化があればすぐに支援の手が差し伸べられます。
教育・医療・福祉・労働が一体となったケースマネジメント体制が一般化しているため、制度の隙間に落ちにくいのです。
日本はこれとは逆に、「問題が起きてから相談してください」という事後型対応が主流です。
最後に、欧州諸国では、福祉政策の成果(若年層の就労率、孤立の減少など)が政党の評価に直結します。
そのため、支援対象が社会的に“声を上げづらい存在”であっても、代弁する制度や職種(オンブズマン等)が整備され、政策として支援が届きやすくなっています。
このように、支援の“構造的な届きやすさ”の差が、日本と海外での引きこもり問題の重みを決定づけていると考えられます。
引きこもりは“個人の病”ではなく“社会の鏡”

日本の引きこもり問題は、単なる個人の問題ではなく文化、制度、歴史的な家族構造、そして支援の設計思想などが絡み合って、“引きこもり”から抜け出しにくい社会構造を作り出しています。
そのため引きこもりを単純に個人の問題、家族の問題にはできません。
そして、ここまで見てきてもわかるように問題解決の大きな障害の1つは、日本人特有の気質として、当人たちが引きこもり状態を恥と感じ、積極的な支援や社会復帰を避けてしまう点にあります。
また日本の親が、成人後の子どもを家庭で養うことに抵抗感が薄いことも問題の1つでしょう。
社会構造の問題をすぐに解決することは難しいかもしれませんが、日本の引きこもりが世界的に見ても異常な状態になっているのは、人々の意識の問題に起因するところが大きいようです。