これは、古代から続く日本の“村社会的構造”に根ざしたものだと言えます。

日本は自然災害が多く、稲作中心の生活を維持するためには、近隣住民との協力と秩序が不可欠でした。 この環境では、集団との調和=生存条件であり、「周囲から浮かない」「迷惑をかけない」ことが重要視されてきました。

その結果、社会的ルールやモラルは「法律」よりも「周囲の目」によって維持されるようになり、他人の視線を常に気にする行動様式が文化として定着したのです。

これにより、人前での失敗や社会からの逸脱は「恥」とされ、社会から一度外れると再び外に出ることが難しくなる心理を強化してしまいます。

加えて、日本社会には“家”を単位とする家族主義が色濃く残っています。

江戸時代から続く「家制度」では、家業を長男が継ぎ、家族が同じ屋根の下で暮らし続けることが当然とされてきました。

現代でもその名残は強く、親が成人後の子どもを支えることが当たり前という文化が引きこもりを長期化させる要因となっています。

対照的に欧米諸国では、18歳を過ぎれば子どもは親元を離れ、経済的・生活的に自立することが一般的です。親もまた、「子どもは独立すべき存在」と捉えており、成人後も親が生活を全面的に支えるという発想自体が非常にまれです。

そのため、引きこもりのような状態が日本ほど長期化しにくいのです。

このように、高度経済成長期の成功モデル・恥の文化・家制度という三つの要因が、日本社会において「引きこもり」という現象を助長する構造を作ってしまっていると考えられるのです。

支援が届かない日本“構造的な無関心”の連鎖

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もう1つの大きな問題が日本では、引きこもりへの社会的支援が届きづらいということです。

その理由は、個人の問題ではなく、制度と文化の構造に起因しています。

まず、日本の福祉制度は「自助・共助・公助」という戦後モデルに基づいています。