さらに博士課程やポスドクと呼ばれる若手研究者の収入は就職組に比べて圧倒的に低く、任期制のために職の安定性もありません。
そのため博士課程に進む学生の数を調べたところ過去20年間で21%減少していることが示されました。
日本では少子高齢化のために高校生の数が減っていますが、大学入学者の数はここ20年で僅かに増えています。
つまり博士課程に進む学生が減ったのは、少子高齢化が原因ではなく、博士課程を選ぶ率が低下しているからです。
他にも研究資金の獲得が、選択と集中の名のもとに、競争的になってしまったことも原因となっています。
研究が早い者勝ちの競争であるのは事実です。
しかし研究資金の獲得まで競争させてしまうと、多くの問題が生じます。
研究者たちを競わせて優れた研究に資金を投じる「選択と集中」が上手く機能するには、「どの研究が優れているのか」を言い当てる人間が必要です。
しかし萌芽的研究をはじめ遠い将来ノーベル賞受賞につながる研究を、言い当てられる人間は存在しません。
また選択と集中は決められた期間内に結果を出せるかどうかが基準で決定されます。
研究のなかには、長年に渡り挑み続ける必要があるものも存在しますが、そのような研究は無視されてしまいます。
結果、過度に定量的で近視眼的な研究評価が蔓延し、研究力の低下が起こります。
つまり日本では投資額をあまり増やさないまま、研究者たちの待遇を悪化させ、選択と集中の名のもとに資金の獲得レースを強い、短期的な成果を求める研究だけに資金が投じられているのです。
これら全ての失敗は、優秀な人材が研究者になることを阻害すると共に、優秀な研究が行われるチャンスを奪っています。
共産圏でしばしばみられた農業政策の極端な失敗と人口減少について、私たちはかつて「子供でもわかる間違いをしている」「放っておいたほうがよほどマシだった」と蔑んできました。
しかし現在の日本の状況は、同じレベルの根本的な間違いが研究政策で起きつつあることを予感させます。