【学習院教授だった服部広太郎(1875年-1965年)は、御学問所御用掛として「博物」を5年間担当した。1923年に徳川生物学研究所所長に就任、25年に設けられた生物学御研究所の主任も務めた。戦後も侍従職御用掛として陛下のライフワークである生物学研究を支えた】

25日 光雲寺に猪狩・中村両氏と研究に従事す。原稿数冊成る。

26日 山本信哉氏来訪。『寛平遺誡』等に関し、托す所あり。

【山本信哉(1873年生)は、日本の歴史学者、神道学者。東京帝国大学史料編纂所史料編纂官】

27日 太田量一・島弘尾氏と商量。太田氏より『皇国の手夫理』を寄せらる。

28日 『皇国の手夫理』及び文部省修身書渉猟。

29日 白仁氏来訪。光雲寺に於て、猪狩氏と研究に従事す。『竹内式部事績』、山県所蔵を聞知す。

30日 河村善益氏を訪ひ、快談す。夜、田中知邦氏『赤心一片』を読む。

【河村善益(1858年生)は判事、検事、貴族院勅選議員】

9月 

1/2日 両校始業に付き、多少の参考を得たり。永原氏、修身教案提供。

3日 小林正策氏より『東宮勧読録』を借受。猪狩氏、草案作成数編成る。『進読録』渉猟。

5日 山県昌一氏を訪ひ、『竹内式部事績』を探求す。『柳子の新論』一部を恵まる。猪狩氏同行、『本朝蒙球』を渉猟す。

6日 光雲寺に於て、青戸・猪狩・中村三氏と共に、教科に関し、終日研究従事す。シユンヒ氏の『帝王教育書』の結論大意を聞く。

7/8日 青戸氏より『禁秘抄』『日本書紀』『古事記』『万葉集』の話を聞く。

11日 ご始業式に列す。外務省に小村氏を訪ふ。石川三吾氏より『野芹』借用。

【小村氏とは小村寿太郎の息子欣一。寿太郎(1855年生)は、飫肥藩の貢進生として進んだ大学南校で杉浦と出会って以来、国権主義・国粋主義の思潮を共有する親友。外交官となり在英日本大使館に勤務していた欣一は、寿太郎が桂第二次内閣辞職(1911年)で外相を辞した年の暮れに死去したのに伴い、帰国して父の爵位(侯爵)を継いだ】