中産階級というと「中」の字がつくので生活水準が中ぐらいの階層と思いこみがちですが、イギリスで中産階級というと、国民の1~3%の大貴族、大地主、大富豪層のすぐ下の5~10%、日本でいえば立派な上流階級のことです。
その中産階級の男性達が、教養は豊かなのに(というか、豊かになるほど)家事は何もできず、かと言って仕事もせず、すべて召使いに指図するだけ、子どもさえ、さすがに自分で産むことは産むけど育てるのは乳母に任せっきりという、カネも暇も手間もかかる女性を伴侶に迎えるのがステータスシンボルになりました。
伴侶を選ぶという重大事を「オレはこんなにカネのかかることを平然とやってのけるんだぜ」という見せびらかし(衒示的消費)の対象と見ているのですから、こんなに相手にも失礼だし、経済的にも合理性を欠いた行為もめったにないでしょう。
ところが、日本では旧庶民階級(いわゆる農工商世帯)出身の知識人まで、生活水準は精々中の上程度なのに、欧米崇拝を丸出しにして「家に引きこもっているのに家事も召使いに指図するだけの奥さんを持つことが理想だ」と考える人たちが出てきてしまったのです。
幸か不幸か、日本の知識人の所得水準では、明治後期から戦前に至るまでごく少数の文豪とか一流芸術家以外にはそんな理想を実現できる人はほとんどなく、「いつかそういう稼ぎを得てみたい」という欲求を刺激する脳内モルヒネにとどまりました。
戦後復興で実現した「専業主婦」理想視「家にこもった専業主婦が理想」という発想は、戦前までの日本型知識人の願望が、焼け跡闇市の廃墟から見事に急速な復興を遂げ、高度成長へと発展を続けた戦後日本経済でややみみっちいかたちで実現してしまった家族観なのです。
1950年代後半に本格化した高度経済成長のもとでも、基本的には階級間格差の少ない社会ですから、勤労世帯の大半が専門の家事労働力を雇う財力は持ち合わせないけれども、夫ひとりの稼ぎで暮らしていける所得水準に到達しました。