とくに長く続いた平和な環境の中で爛熟した独立自営小売業を営む商家では、人当たりも良く如才のない奥さんのほうが旦那より稼ぎがいいので、旦那は奥さんに頭が上がらないといった風景はごく自然なものでした。
富裕層が男社会化したのは産業革命後その日本で明治維新は男女関係に微妙なねじれを生みました。武士階級では、それまで抑圧されていた女性の社会進出が活発化し、明らかに平等化の方向に動いて行きました。
ちょっとあとなら電話交換手やエレベーターガール、戦後しばらくするとフライトアテンダント、そして証券アナリストといった女性にとって花形と形容される職業の系譜で、明治初期最初にスポットライトを浴びた職業は何だかおわかりでしょうか?
官立の富岡製糸場のような大規模機械制工場で働く、当時は「工女さん」と呼ばれた女性工場労働者たちで、大半は武家社会の窮屈なしきたりから逃れられると喜んだ士族(旧部武士階級)家庭の未婚の女性たちだったのです。
欧米のことなら何もかも理想化し、日本のことなら何もかも「お涙頂戴」史観でしか語らない日本の知識人たちは、女性工場労働者といえば『女工哀史』一色で塗りつぶしてしまいますが。
女性工場労働者が華やかだったのは維新直後だけで、明治中期からは工場労働者の大半は女性で、しかもその大部分が比較的貧しい農家の出身という時代が続いたのも事実です。
ただ、地租改正で租税負担が激増して貧しくなった農家の子女にとって、工場労働はたしかにきびしい環境ではあったけれども、生家に残ったまま補助的労働力にとどまるよりはマシだったことはさまざまな統計が立証しています。
そして製糸業界を支える女性工場労働者達は、明治末期に松方正義大蔵大臣が「日本の軍艦は総て生糸を以て購入するもの」と演説するほど維新政権が掲げた「富国強兵」政策の要となっていたのです。
一方、産業革命の先頭に立ったイギリスでは、世界中どこでも支配階級以外は男女平等に働いていた庶民のうちから、ビクトリア朝中期頃には日本で言えば富豪層に当たる「中産階級」が育っていました。