少なくとも「多数から批判が殺到すること」という要素が「炎上」の中核的要素であり、Xの投稿に置き換えれば、引用リポストやリプライ欄で批判コメントがどれだけ付けられたのか?という数を調べることになります。

「批判を受けた言説が正しいか誤っているか」は、考慮しないはずです。

「批判した投稿が大量に拡散される」については、「批判投稿が炎上」のケースも考えられるため、補助的に扱うべきということになるでしょう。逆に、批判投稿の拡散を全く扱わないのも変でしょう。「批判が正当と評価されているか無理筋と評価されているか否かはともかく、その言説が広まっている」というのは、炎上の規模感の考慮要素でしょう。

「炎上」という語の一般的定義は見つかりませんが、当該研究上で便宜的に定義づけている論文では、例えば「単一のサービスではなく複数のプラットフォームで批判が展開されているものという定義で資料収集に当たっているところが見つかりますが、これは一つの判断手法として有用だろうと思います。

他方で、鳥海教授の再分析記事の用語法では、どうやら「批判投稿と、それに対抗するための擁護投稿や無関係な投稿の割合」をベースにして炎上か否かの基準にすると考えているようです。

つまり、「肯定・擁護の投稿が多いと炎上じゃなくなる」ということを意味するわけですが、無理筋な非難が行われた状況を受けて「応援」コメントをする者が出現する事例には不適切なんじゃないでしょうか?

100万の批判投稿があっても500万の擁護投稿があれば炎上では無いことになる。無理筋であるほどに的確な批判は多くなるが、それは批判言説の広がりそれ自体を抑えることにはつながらない。

もちろん、肯定的な投稿数との比較は最終的な評価に際して有用だとは思います。基準としての機能は持ち得ず「考慮要素」として扱うことには異論はありません。

ちなみに、山口真一氏がアドバイザーのデジタル・クライシス総合研究所は、以下を炎上の数値上の「定義・基準」としてデータの収集・分析に当たっていることを明示しています。