要するに、今の「不法状態の経済移民だろうと何でも受け入れなくては」っていう構造は、人類社会の中で一握りの先進国だけが「経済的に栄えて」いて、それ以外は本当にヒドイ貧困状態だった時期に想定された「構造」なので。

「経済移民部分での主権国家の自主的選択権」をある程度認めていくことで、「本当にヤバい人道上の問題がある時の少数の難民問題」ぐらいは受け入れるようにしつつ、あとは「自分たちで選んで入れたならちゃんとフェアにやれ」をルールにしていきつつ、「経済移民はむしろ自国の発展を頑張ってもらう」方向で決着する・・・

それでも、少子高齢化は日本だけでなく先進国共通の課題だから、「ある程度の」経済移民の枠は政治的に維持され続けるようになるはずです。

そういう「シフト」を行うのは、「中進国がかなり豊かになってきた今」の状況においては「正義の理想」と「現実の課題」を両方ある程度実現していくために大事な方針転換であるように思います。

なぜ「こういう転換」が必要かというと、

「理想を述べるだけの人」と「現実に対処しないといけない人」の間の不均衡という欺瞞

…が誤魔化しきれなくなってきてるからなんですよね。

よく言われてることですが、「移民難民を差別するな」「お前は排外主義だ」って非難してる人はまあまあ社会の中でインテリで安定した職を持っていて、あまり「お行儀悪い移民」が近くに住んでるわけではないことも多い。

一方で、「あまり裕福でないエリア」に住んでいて「アパートの隣の住民がニューカマー」であるような人は、日々日々「とにかくリアルな課題」を処理させられ続けるわけで・・・

その「リアルな課題」に対して対処の声をあげてくるのに対して、「差別主義者め!」って「お説教」で向かっていったら、以下記事で書いた川口の人が言ってたように「自分たちのニーズを気にしてくれるのは排外主義の人だけ」になってしまう。