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私の新刊、「論破という病」はサブタイトルが「分断の時代の日本人の使命」なんですが⋯

世界中が混乱してきてる中で、本当に「そういう役割」がこれから日本に求められる側面はあるなと感じてます。

で、それがどういう「役割」なのか?っていうのを、これから真剣にムーブメントとして形にしていきたい気持ちが自分にはあるんですね。

私はそういう志向性のことを「メタ正義」的方向と呼んでるんですが・・・

最終的には、本や記事や動画での発信やコラボレーションだけじゃなくて、新聞や雑誌のような旧メディアや、アカデミアの一部なんかとも共鳴して、大真面目なパネルディスカッションをやっていくような、そういう「共鳴関係」を作っていければと思っています。

そこの部分で明確な「新しいムーブメント」感を作っていくことが、色々と機能不全化してしまっている今の日本における議論を再度有効なものに立て直していくためにも必須だし、人類社会全体の中でのこれからの日本の役割を揺るぎなく打ち立てる事にも繋がると確信しているからですね。

日本社会にはこういう「能力」自体はバラバラにそれなりに存在してると思うけど、それが横に全然連携できていないので、本当に社会の各所で有志の人が孤軍奮闘してるだけになっちゃったりしている。

それを横に繋いでいくことで、「理想と現実」を双方向にシームレスに繋ぐ日本発の新しい社会運営方法にまで昇華していく必要があるというのが私の考えなんですね。

では、その「受けて立つリベラル」というのはどういうことか?という事を真剣に考えていきたいわけですが・・・

1. アメリカ型民主主義と欧州型民主主義の狭間に

例えば、上記記事で書いたような視点があります(未読の方はぜひ先に上記記事をお読みいただければと)。