実際の政治制度としてどう扱われるかは別として、「一人一票」的に平等にそれらが扱われないとオカシイ!という叫びが本能的に渦巻いているような方向に人類は引きずられて行かざるを得ない。
それが、いわゆる「グローバルサウス」の国々が「欧米」からどんどん離反していくという時に起きている本質なのだと私は考えています。
しかし、じゃあ
「欧州風に正しさを先に決めつけることはできない」「アメリカ型にとにかく絶対化した”個”の実在ベースでボトムアップ的に成立する民意に向かい合うしかない」・・・そういう時代になっていく
…のはいいとして、とはいえトランプ政権がやってることみたいなのを追認しているだけでいいのか?という大問題があるんですよね。
つまり、
・「アメリカ型のボトムアップな民主主義のアプローチ」を本質的には採用しながら ・欧州風の理想が完全には吹き飛んでしまわないような着地を目指す
⋯という「大変むずかしいチャレンジ」をいかに実現するかが重要になってきている。
2. ①欧州風の理想を、②アメリカ型民主主義をベースに、③日本という依代を利用して再構築する
この問題を別の角度から見てみると、さっき「欧州の人類社会全体におけるシェアが低下してきているので」という話をしましたが、それは日本も同じなんですよね。
そもそも全体として、人類全体に占める「いわゆる先進国のシェア」っていうのは90年代初頭まで65%ぐらいあったのが、今は4割を切っていて、さらにどんどん落ち込んでいく見込みなので、今までみたいに「欧州人のエリートがこう言ってるからこうなんだ」では全然通らない時代になってしまっている。

環境庁資料
結果として、「欧州型の民主主義」の構造はどんどん成り立たなくなってきているのと同じように、日本の場合も「ここは日本なんだから黙ってそれに従え」という方向性がどんどん成り立たなくなってきてますよね。
とはいえ、同じ社会を共有して生きている以上、「完全に人それぞれ」というだけでは成り立たないので、「とりあえずは共通のコレに従えよ」というアレルギー反応としてのいわゆる「右傾化」とか「排外主義」という形での「対処」がなされることになっている。