なんか、実際に眼の前で起きてる災害への対処を相談する会議にやってきて、「俺達の党と違ってお前たちの党は間違ってる」みたいな価値観論争的な愚痴を延々言い始めたヤツ・・・みたいな印象だったらしくて、それは確かに「はぁ?」と欧州人から思われるのはわかる。

ただ、その「場違い感」の問題はとりあえずおいておいて「内容」自体を見ていくと、主張の「コア」の部分は、欧州側が「受けて立つべき」内容を含んでいると思うんですよ。

特に、安全保障問題だけに限っても

・「アメリカは東アジア問題が大事だから欧州の問題は基本的に自力で守ってくれ」 ・欧州の方がロシアよりGDPは大きいが、資金があっても兵器生産能力が足りない。そのあたりの現実と向き合うなら、交渉による解決しかない

…というあたりはまあ「米国側の主張としては当然ありえる」ものであり、結果として欧州への「ウェイクアップコール」的にもなって、自前の防衛網の必要性を欧州政治家も認識して動き出す流れに既になってますよね。

でも問題は、それ以上に、「民主主義」という概念に対する「欧米」の「欧」と「米」の違い・・・という部分が非常に重要な違いになっているんですよね。

4. 「欧州の民主主義と米国の民主主義」

バンス演説が浮き彫りにしているのは、ある意味で「欧米」の「欧」と「米」の違いみたいな部分なんですよね。

「米」の方にも「欧」よりの民主主義観もある・・・というのは当然ありつつも、全体としては、

「ありとあらゆる構成員の生身の個」に「絶対的な権利」があって、それを全部束ねたところに生まれるのが民意・・・という”ボトムアップ型”の米国型民主主義の考え方

…というのが一方であって、

「政治的な議論」という概念レベルのものが先にあって、「それのどれを選ぶのか」という形である意味思想的には”トップダウン型”に形成されている欧州風の民主主義の考え方

…がもう一方で存在する。