此の如く我が国は古来農業を重んじ、米を尊びて、以て立国の大本とせられしかば国民亦朝廷の御思召を体して、能く田を耕し、米を作ることに辛労を辞せざるなり。種蒔き、植ゑつけ、草取り、其の他幾多の手数を煩はして、然る後始めて食すべきの米を得るなり。毎年春より秋に亙りて農夫の労する所、実に思ひ及ばざるものあり。故に徳川時代に於ても、士農工商の階級を立つるに当り、農を以て士の次に居らしめたるは、是れ亦米を尊ぶが為めのみ。

農夫の辛労によりて得たる米は、能く我が国民の生命を支え、精神を養ひ、又一国の経済を立つ。更に少しく之を詳(つまびらか)に言はんに、我が国民必須の食物は古も今も依然として米なり。上は天皇の尊きも、下は一平民の卑しきも、忠臣も義士も皆米を食として以てその身を養へり。単に其の身体のみならず、又其の精神も養ひたるなり。加之、我が国の経済は米を以て最大要件とす。一年の収穫少きは四千万石、多きは五千余万石なれば、仮に之を四千五百万石と平均し、その値を算するに、一石十五円として六億七千万円を下らざるべし。我が国産にして此の如き多額の値を有するものは他に之れ有ることなし。

されば米の不作なる時は、国民挙って之を憂ひ、人気沈滞す。之に反して豊年には人々自ら心豊かに勇み立ちて、民情安らかなり。此の如く痛切に我が国情を支配するもの、又他に之れ有ることなし。一国の命脈は実に米に繋れりといふも、決して過言にはあらざるなり。今日欧州列国の大乱につきて考ふるに独逸の如きは僅々一二ヶ月にして早くも食料の欠乏を感じ、之が為に軍隊も国民も共に非常なる苦境に陥りつつあるは、我等の等しく聞く所なり。此くては縦令(たとへ)兵士の勇敢なるにもせよ、戦に於て最後の勝利を収むること難かるべし。我が国は古来農業奨励の結果として、国民の食物を国内に産出し得るは、国家の一大勢力たりというべし。欧州諸国にては多く米を産せず。亜細亜諸国には多量に之を出す所なきにしもあらざれども、其の質劣悪にして、到底我が国の米と比するには足らず。之に就きて左の如き一奇談あり。(中略)