そこで、筆者が本稿連載中の「昭和百年の礎:杉浦重剛のご進講“考”」の1914年10月1日の進講題目は「米」であった。連載では省いたその草稿をそっくり以下に紹介したい。

その心は、前述の「NHKWEB」記事に登場した政治家・生産者・流通業者・消費者の諸氏が草稿を読み、「米」についての理解を深く共有することが、現下の「米」問題の解決に繋がる気がするからだ。

杉浦重剛の「米」ご進講の草案

第六回御進講「米」 【大正三年十月一日】

米は我国にありては最も古い穀物なり。古典を按ずるに、皇祖天照大神、高天原を知ろしめし給ひける時、御田をつくらせ給ひしことは明瞭なる事実なり。而して皇孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を我が大八洲(おおやしま)に遣はされんとし給ひける時三種の神器を授けられ同時に稲穂を取りて與へられたり。天孫之を携へ来りて大八洲に播種せられければ、米穀能く登(みの)りて、瑞穂国の名あるに至りぬ。

されば歴代の天皇亦皇祖の御心をつぎて、農業を奨励し給ふことを怠らず。一例を挙ぐれば崇神天皇の如き、或は池を掘り、溝を穿ち、堤を築き、農業の進歩改良を図りて至らざる所なし。是れ農を以て立国の本とし給ひけるによりてなり。而して我が国の農業が米を以て其の首脳とすることは、殆ど言を須(もち)ゐざる所なり。故に新穀登る時は、之を神明に捧げて祭祀を行はせらるるを古来の風習とす。神嘗祭(かんなめさい)、新嘗祭(にいなめさい)の如き是なり。

神嘗祭は天皇が新穀を以て造れる神酒(みき)と神饌(みけ)とを伊勢大神宮に奉らせ給ふ儀式なり。

新嘗祭は天皇が其の年の新稲を神に奉らせ給ひ、且つ主上御自らも食し召し給ふ祭祀なり。

殊に大嘗会(だいじょうえ)は、天皇御即位式と同時に行はせらるる最も重大なる祭祀なり。即ち天皇新たに御位(みくらい)に即かせ給ひたる後、初めて新穀を以て天照大神及び天神地祇を奉祭し給うふとなり。故に先づ悠紀田(ゆきでん)、主基田(すきでん)の御定めありて、殊更神聖に作り上げたる米を供へさせらるるを法とし、以て報本反始*の意を表せらるるものなり。*ほうほんはんし:天地や祖先の恩に報いること