例えば、
議論の余地はあるにせよ、アメリカ史上最も優秀といってもいい大統領候補、ヒラリー・クリントン元国務長官
…とかいう表現とか・・・・「議論の余地はあるにせよ」とかつけてればいいってものじゃないと思うんですが・・・
「アメリカ史上最も」ってことは、二度の世界大戦を実際に乗り切って世界最強国家にのし上がった時期の大統領とか、南北戦争のような危機を実際に乗り切った大統領とかも全部含まれるわけじゃないですか。
それらの「色んな先人たち」に対して色んな人の色んな評価があると思うんですが、その状況で突然
「アメリカ史上最も優秀といってもいい大統領候補=ヒラリー・クリントン」
とか何の注釈も留保もなく地の文の中で突然ドカーンって書くのって凄いヤバい感性な感じがするんですけど、どうでしょうか?
「少なくとも私にとっては、ヒラリー・クリントン氏が、アメリカ史上最も優秀な大統領候補であると信じていた。その理由はコレコレだ」
ぐらいならわかるんですけど。
他にも、たとえば
子どもたちの中で唯一フレッド(ドナルドの父親)にとって重要だった息子ドナルドは、フレッドに好まれたその性質によって、結局誰からも愛されない人間になったということだ。
ドナルド・トランプは「結局誰からも愛されない人間だ」・・・とかも結構表現としてヤバい感じしませんか?
そりゃもちろん、「いかにも不動産屋のオッサン」的にガサツな祖父や叔父と、作者のような文学肌の心理学者の女性が「親戚づきあい」すれば色々と摩擦があるんだと思いますが・・・
ただ、そういう「実害」を受けた部分以外では、作者が考えるような「理想的な人間関係」とは違うかもしれないが、彼(ドナルド)なりに家族を愛して一緒にやっていきたいと思っていたりするし、それは他人が否定できるものでもない・・・というのが普通な感性じゃないでしょうか。少なくとも「そういう風に語るのが建前としての良識的態度」だというか。