「分断」「ヘイトスピーチ」「極端な排他主義」などの言葉を、ニュースで耳にする機会が増えたのも、この数十年の話です。

そして何より“恐ろしい”のは、この仕組みが私たち一人ひとりの無意識の奥底に存在するため、自分のなかにも常にその火種が隠れている、という事実でしょう。

誰もこの火種から逃れることはできません。

違う意見、違う文化背景、違う属性を持つ相手を目にした瞬間に発生した無意識的な反応が、歴史上多くの悲惨な争いを呼び起こしてきた……それが、ある意味で“避けられない真実”なのです。

 それでも私たちは共存を選べるのか

私はあなたと、違うと思っている――闘争の全てはその認知から始まる
私はあなたと、違うと思っている――闘争の全てはその認知から始まる / Credit:Canva

違いの認知が闘争を引き起こすならば、人類は無限に戦い続けなければならないのでしょうか?

半分は、その通りと言えるでしょう。

人類の自分と他者を区別する能力をのものが、既に闘争の下地を作り上げているからです。

しかし、闘争と同じように、人類は他者との協力を続ける本能も備わっています。

自己と他者を意識する認知は、闘争だけでなく他者と協力し合うための「必要条件」にもなっているからです。

実際、もし違いの認識が闘争しか生まないのならば、人類はとっくの昔に、1種類の人種、1種類の民族、1種類の国家しか生き残らないようになっていたでしょう。

他者との協力を必要とする同盟、連合、連邦、国連、二重帝国といった概念も存在しなかったはずです。

しかし、そうはなりませんでした。

現在の地球上には180カ国以上の国が存在し、無数の言語を話す人々で溢れています。

違う部分を認知して殺し合うよりも、同じ部分をみつけて協力するほうが最終出力が高かったからです(Tomasello (2009) 、Bowles & Gintis (2003))。

そして、違う相手からは違う利益が得られることを知れたのも大きなポイントとなったに違いありません。