大航海時代から植民地時代にかけ、先住民への無慈悲な虐殺もまた、彼らが「自分たちとは違う」存在として認識された結果です。
実際、過去には先住民は「動物」に近い野蛮で未開な存在として描かれていました。
近代においても、この残酷な構図は色あせることなく続いています。
20世紀に台頭したナショナリズムは、「自国の民族が最も優位である」という思想のもと、数多の血なまぐさい衝突を引き起こしました(Anderson, 1983; Browning, 1992)。
ナチス・ドイツが掲げた人種差別的イデオロギーは、ユダヤ人、ロマ(ジプシー)、障がい者などを「異なる」存在として断罪し、大量虐殺という暗黒の歴史を生み出しました。
第二次大戦後もこうした傾向は途絶えず、相手との違いを強く意識することが民族浄化の動機とされています。
その根源には、依然として「我々と異なるものは排除(抹殺)されるべきである」という認知が深く根付いていたのです。
人類学の視点からも、ある地域で現生人類とネアンデルタール人やデニソワ人といった他の人類種が接触すると、わずか1000年未満という地質学的にみて一瞬とされる期間で、相手の痕跡が跡形もなく消滅してしまった事例が知られています。
その結果、現在の地球には道具も言語も使えないチンパンジーは生き残っていても、両方が使えたはずの人類の近縁種は存在しません。
これほどまでに頻発する現象は、偶然の産物ではなく、人類そのものに刻み込まれた性質であると断言せざるを得ません。
では、現代はどうでしょう?
インターネットやSNSが普及し、国境を越えて情報が飛び交う時代になったにもかかわらず、むしろ私たちの「区別する意識」はさらに先鋭化している面もあります。
違う国や文化の人々を簡単に“検索”できるようになった一方で、エコーチェンバー現象のように、自分と似た価値観の人たちだけとつながりが強まる傾向も強くなっています。