夜明け前の静寂の中、ふと立ち止まり、あなたは自らに問いかけたことはありませんか?

「私は、他人と違う」と――幼い頃、何気ない日常の中で初めてその衝撃的な感覚に気づいた瞬間を。

たとえば、幼稚園の休み時間、砂場で仲間と一緒に遊んでいるとき、ふと自分だけが違う視点や好みを持っていることに気づいた瞬間があったはずです。

同年代の友だちと遊んでいるうちに、「自分は走るのがちょっと遅い」「あの子は絵を描くのが上手い」といった違いに気づいた瞬間があったかもしれません。

あれこそが、「私はあなたと違う」という意識の萌芽であり、実はこうした区別は、自分が何者であるかを確かめるための“鏡”のような役割を果たしているのです。

社会学や発達心理学の研究では、他者との相違を見出すことで自分自身を客観的に捉える過程が、人間の成長には欠かせないとされています。

「自分」の存在をはっきり認識するためには、「自分ではない何か」が必要なのです。

ですがこの何気ないように思える認知プロセスこそが、数え切れないほどの歴史的闘争や血塗られた対立、さらには現代におけるあらゆる争いの出発点であり、生存戦略として冷徹に進化の中で刻まれた必然の仕組みなのです。

このコラムでは、あなたと私との「違い」が、いかに深く、そして破滅的に我々の闘争を引き起こす根源であるのかを、学術的視点を交えながら解明していきます。

目次

  • 私とあなたは違うーーーだから争う
  • 歴史が示す「恐ろしい答え合わせ」
  •  それでも私たちは共存を選べるのか

私とあなたは違うーーーだから争う

私はあなたと、違うと思っている――闘争の全てはその認知から始まる
私はあなたと、違うと思っている――闘争の全てはその認知から始まる / Credit:Canva

生命の始まりから、私たちは生存のために不可欠な能力―自己と他者を区別する認知―を獲得してきました。

太古の原始の世界、暗闇の中で、わずかな動きや音に反応しなければ、生き残ることすら困難でした。