法律面における男女平等運動に真剣になってる点以外はガチに伝統的な「朝ドラヒロイン」
で、そこがなんか意外というか、「新しい情景」を生み出しているように思いました。
実際そこにある「論争」で実際に実現していく法律的な争いといえば、
・そもそも女性に投票権ないっておかしくない? ・女性は裁判官になれないとかおかしくない?
とか、
・実父にレイプされ続けてきた女が父親を殺した時に「尊属殺人」として量刑が重くなるのは違憲
とか、なんかこう、現代人的には「相当にウヨクの人でも当たり前じゃんと思うようなこと」なんで・・・
ものすごく意地悪いことをいうと、こういう「当然のこと」を「ウーマンパワー!」として勝ち取る話をしつつ、とはいえ主人公の女性は「朝ドラ伝統のスーパーポジティブヒロイン」であるというのは、「ガチのガチ左派」の人たちからは苦々しい思いもあったんじゃないか、というように思いました。
これ、↑言ってる事が「ガチ左派のロジック過ぎて意味わからない」かもしれませんが(笑)、要するに「フェミニズムというのはあらゆる家父長制とか国家とかいったものに対して中指立てる」ムーブメントとして蓄積してきたのに、その「ほんの上澄み」だけを「ガチ伝統の朝ドラヒロインキャラ」が演じてお茶の間全体に広がることで、『簒奪された』というように考えるのが、ある種の20世紀型左翼のロジックだったりするんですよ(笑)
とはいえ、我々日本社会の「ガチ左派以外」からすれば、こういうムーブメントが起きることは↑、「新しい中道の共有」という意味ではすごい重要なことであるように思いますよね。
ここから戦略的に「奪い取って」いって、「本当に左翼的良心を追求するということは、この多極化時代にはローカル社会側の具体的な課題に一緒に立ち向かう意志を示すことなのだ」ということが徹底的に明らかになる情勢に持っていってやりましょう。
「ガチ左派」の方々は、さっきの「M字から凸字」の図の「シグナルとしての異端者」の位置で延々と20世紀のやり方をやり続けていただければと思います。