「俺の顔を立ててこの程度で収めてくれないか」って色んな「財界の重鎮」が出てくるんだけど、日枝さんとかの周辺がそれを徹底的に撥ねつけたりするんですよ。

なんかこのタイミングで、日本社会は「日本という集団への無理やりな帰属」よりも「個人」を大事にする流れに転換しつつあり、それで社会全体で無理やり「みんな一緒」にバブル経済をやり続けることができなくなった流れはあるな・・・というように思いました。

一方で、当時のように「あまりに内輪で褒めあって」いる経済では、結局「皆で同じものを欲しがって同じものに投資」する形になって、結局経済全体がイビツなままになっていたはずの現象でもあって。

今の中国がそうなんですが、皆が不動産と言えば皆不動産に投資し、次はEVだってなったら皆でEVに投資し・・・という構造だと、本当の意味での「市場的調節」が働かないから全体としては不況のままになってしまう。

「堀江さん&宏明さんのような改革志向」vs「春雄さん&日枝さんのようなコンテンツ重視志向」が新しい連携を生み出す時、そこに「個人を無理やり圧殺しないけど全体として調和している」という着地点が生まれてくるはずで、それが「国家の経済関与」が過大になっていきがちな最近の米中とは違う日本の勝ち筋があるはずだ、という話を以下ではします。

つづきはnoteにて(倉本圭造のひとりごとマガジン)。

編集部より:この記事は経営コンサルタント・経済思想家の倉本圭造氏のnote 2025年1月31日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は倉本圭造氏のnoteをご覧ください。