明治大学国際日本学研究

これは大枠で言うと、日本の新聞社ってだいたい安価で払い下げられた東京の一等地の不動産を持っていて、それによる不動産事業収入とか、あとテレビ局と一体化することでアレコレ収益を補填してもらっているとかの形で存続している面があるんですよね。

これが「ガチで新聞業だけ」で赤字なら即消滅するような構造だと今のようにはなっていないはずです。

日本の地方新聞も、「地方財閥」がアレコレ多角的に持ってる事業の一部として存続してるので消滅してない側面があるはず。

アメリカなんかはある時期に地方新聞が壊滅的に消滅していった流れがあり、大メディアも儲けるためにどんどん先鋭化・分断化した論調競争になってった側面があるので、そこで日本のメディア企業の収益構造が、「ある種の良識」の担保機能を持っていたことは疑いないと思います。

で、僕の個人的な話に戻りますと、この記事で書いたように、僕が前回だした本は雑誌『SPA!』を創刊したメンバーの編集長とガチ右翼雑誌出身の編集者の人によって作られたので、かなり「オールドメディア度」は低い感じだったんですよね。

「キャッチーで面白いものにしてやるぞ!」という気分がすごくあって、それはそれで「売出し中」の身だった自分には合ってたところがあったと思っています。

一方で今回の本を出してくれる中央公論新社って経営的には読売新聞の子会社で、かつ「沢山ある中央公論新書の過去ラインナップ」が売上に大きく貢献してくれてるらしくて、良くも悪くも「オールドメディア」感があるなと感じる事は多かったです。

前回の本は「もっとキャッチーに先鋭化しましょう!」っていう方向にガツガツ手を入れられて自分の方が戸惑う感じだったんですが、今回は「こういう表現は少し行き過ぎなのでは?」「この表現はこういう層からは反発があるのでは?」みたいな方向にインプットが沢山あって・・・

それをただ受け入れちゃうだけだとただ丸まって主張がない面白くない本になったと思うんですが、そういうインプットの一つ一つに対してちゃんと配慮しつつも、自分の主張の軸をブレさせずに通していくだけの力量というか蓄積が自分の中に育っていた事もあって(自分で言ってますがw)、「最初に書き上げた原稿」に比べると断然良いモノになって校了まで行けた感じがしてるんですよね。