それは右からも左からも「許されざる煮え切らなさ」に見えるし、その限界も徐々に露呈してきてはいるけれども、とはいえそういう態度が「ある種の良識」を担保していた部分はある。
こういう「オールドメディア型良識」って、世界中で消えつつある部分だなと感じている人は多いでしょうし、というのはさっきの酒井信明治大学准教授の論文にもあったように、例えば米国とかは本当にメディア産業全体がマネーゲームに巻き込まれることで、「先鋭化しないと売れないぞ!」っていう方向でゲームが組み立てられてしまってますよね。
結果として、保守派が読んでるメディアと進歩派が読んでるメディアの論調があまりに違いすぎて、何か問題があった時もとにかく全部「敵」のせいにしちゃう・・・みたいな方向で競争が全力で行われてしまっている。
こういう感じになると何が良くないかというと、「うっすらリベラル寄りに共感」してたぐらいの普通の人が、「あまりに社会の全ての問題を”古い社会の無理解のせいだ”という方向で一本化した批判に昇華しちゃうwoke型論調」への反感をつのらせて、今度は逆に「いやいやそこまで言わなくても」みたいなレベルの反動ムーブメントに引っ張られていったりする・・・という問題で。
そういう風潮に対して、「あまりに先鋭化しちゃっても良くないよね。同じ社会で生きてるんだしね」みたいな風潮が強固にある日本は、過去20年は
「遅れてる!人権思想を理解しない劣等民族の国だ!」
って扱いでしたよね。
でも世界中の民主主義国家がここまで大混乱状態にまでなってみると、
「いやいや、恨みを溜め込んだ保守派のバックラッシュによってメチャクチャ反動的な政策に押し返されちゃうよりはかなりマシなのでは?」
という再評価がされつつある流れは今後来ると思います。
で、さっきも言ったとおり、こういう「日本のオールドメディアの良識」って、東京の新聞社とかテレビ局とかの多くが、「本業とは別の不動産事業とかグループ会社のテレビとかで儲けてる」という構造によって支えられてるのは間違いないんですよね(笑)