で、そういう「旧来メディアの慎重姿勢」によって、過去20年の日本が「グローバルで流行していた”先鋭化しまくる政治志向”」から距離をおきがちであったことは批判され続けてきたわけですが・・・
ただ、世界中の民主主義国家が社会の分断化によってメチャクチャ混乱してってる昨今においては、逆にその「日本の安定性」こそが「良識を担保したまま変わっていく」ために必要な配慮だったのでは?という理解も徐々に進んできているところがあると思います。
欧米における「先進的・進歩的」な人たちが「旧社会」的なものをあまりに「敵視」しすぎたために強烈なバックラッシュが起きると、「余計に反動的」な政策が実現しちゃったりしてるわけで・・・・
逆に「進歩的なムーブメント」には常に8ガケか6ガケぐらいで割り引いて見るのが常態になっている日本において、「強烈なバックラッシュ」にならずに相互理解を蓄積していって社会を変えていく道も見えてくるはずだと私は考えています。
「うさぎと亀」の競争のようにね。
そういう「新しい着地点」が見えてきているからこそ、昨今のフジテレビ&中居くん問題みたいなものが、むしろ「保守派っぽい」人からも共通で叩かれる流れも生まれているように思います。
そこには日本社会と「女性」との新しい関係性の萌芽もあるのではないでしょうか。
というわけで、そういう「日本のオールドメディアの時代錯誤な良識」の良い部分はどこにあって、しかし「時代とともに変わっていくべき部分」はどこにあるのか?という話について、掘り下げる記事を書きます。
1. 「オールドメディアの良識」はどういうところにあるのか
日本の「オールドメディア」の「良識担保機能」みたいなのに注目する議論は海外の学会とかでもあるらしく、明治大学の酒井信准教授のこの論文にも以下のような話がありました。
長年にわたりジャーナリズムを牽引してきた各国を代表する新聞社が、フリーペーパーの新聞や Web上の無料のニュース、SNS等を通して配信されるフェイク・ニュースとの競争に敗れ、極端化する世論に適応できず、厳しい経営状態に置かれている中で、日本の主要な新聞社が発行部数を減らしながらも黒字を維持している状況はMedia Studiesに関する国際学会でも注目を集めている