価値の多様性は著者の強調するところだが、多様のままだと社会はバラバラになってしまい社会にならない(後の論点)。
統一するものは何か? それは必要なのか。この場合、国家の役割はどう規定されるのか? アダム・スミスの御託宣と著者が言う、「打ち出の小槌はもうない」(P.201)となると、なおさらだ。OECDのウェルビーイングと国連のSDGsが並列的に示されている。
資本主義の仕組み第7章の記述は全体としてわかりにくいのだが、参考にしたいところがある。「資本主義の終わり」と「資本主義の仕組みの終わり」の区別だ。後者は「これからもしばらく続くだろう」という。モノの生産は縮小するけれど、なくならないからだ。つまり、過渡期である。
私達が貧乏になる!
モノの生産が減少 ⇒ 売上高・GDPの縮小 ⇒ 賃金の減少なのだから、そういう心配があるが、著者は否定する。貨幣換算されない価値が「どんどん増産される」からだという。
AIの出現これについては著者も心配している。
「私達はアルゴリズムの奴隷(どれい)にすぎない」(P.223)
肝心の価値がなんであるか、その判定と評価がAIにゆだねられてしまっては、価値主義は危険になる。それを救うのは加藤周一の言うような人間の教養であるという。
価値主義の時代は、所得は増えないが各人の持つ時間は余る程あるから、これが教養の獲得に向けられる。堺屋太一が言う「知価革命」だ。
第8章 未来の青写真この章の紹介は略する。ここは、読者それぞれが、それぞれに感じ取るところだ。ただ政策のあるべき姿については要点を示しておこう。
① 経済成長は目指さない。情報の時代は縮小が当り前 ② 分配の工夫。パイの切り方が重要 ③ 教育を含めて、社会全体は多様な価値観、多様な生き方を進める ④ 今ある価値(資産)を活用する ⑤ 知識社会への対応
■
いくつかの論点 1. 労働価値説の否定著者は、モノが支配的な状況で打ち立てられた経済学は、情報が主役になった時代には通用しないとする。その象徴が価値法則、つまり価値は労働によって生み出されるという労働価値説の否定だ。