価値主義の下でも社会は形成され維持されるのであろうか。この点に関しては社会学者の金子勇が問題を呈している(金子勇『社会資本主義』、ミネルヴァ書房、2023年)。

情報はタダで、使う人によって価値は相対的であるから、情報化社会は多様。これはあまりに単純な論理だが、多様性のままでは社会は成立しないし、成立しても安定しない。多様な価値が混在し乱立したままでは“新しい争い”が生じてしまう。情報化が現代でもっとも進んでいるのはアメリカだが、そこでの最大の社会問題が分断であることは象徴的だ。

資本主義が欠陥を持ちつつも社会でありえたのは、利潤原理が社会の様々な分野に、そしてかなり深いところまで浸透したからである。そこにはひとつの価値観があったのである。人々が働くのは、なんといっても収入を得るためであった。著者の言う価値主義の下のバラバラな状況から社会が形成されるのだろうか。人々に時間があり、教養を積む余裕があっても、それだけではバラバラのままであろう、悪くすればその程度はかえって深刻になる。

ここで金子を引用しておく。

「目的合理性」こそが「資本主義の精神」の要にあり、・・・そこでは、企業経営も国家経営もさらに家族の営みも、大枠は「目的合理性」から逸脱しないような社会構造が想定される。・・・資本主義的経済組織は既成の巨大な秩序界(前掲書、P.2)。

本書(佐藤)の言う「価値社会」も、それがどんな将来型であっても秩序界(M・ウェーバー)がなければ、社会たりえず、安定しない。多様性の拡大するなかで、それがどう保たれるか?が問われる。

3. サービス商品と情報商品

著者は、モノかそうでないかで分類する。そうすると、サービス商品はモノではない。

しかし、消費するとなくなるということではモノに近い。本書ではサービス商品についての言及はないが、どう考えているのだろう。

情報化、が議論され始めた最初のころは、それは、サービスの特殊な形態と考えられていた。情報化が進展したことで見方が変わったのか。これまでの説明は誤りで、本書のように考えようというのか?これも論点である。