また取り合いのあまりの激しさに、息を吹き返した死刑囚もいました。

これは嘘でもなんでもありません。

当時の処刑はまだ、囚人の足元の板が開き、勢いよく落下させて一気に頸椎(けいつい)を折る方法ではなく、絶命するまでジワジワ首を締め続ける方法がとられていました。

しかも医師による死亡確認がされない場合も多く、「実は意識を失ってるだけ」というケースが多々あったのです。

信じ難い話ですが、解剖医がメスを入れようとした瞬間に囚人が目を覚ますこともあったといいます。

なんという悪夢でしょうか…

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棺から遺体を盗み出す盗掘者の絵/ Credit: commons.wikimedia

さらにジョンは遺体を手に入れるために、死体盗掘者たちと付き合うようになりました。

この頃までにはジョンを筆頭に遺体を高く買う外科医が増えていたため、死体盗掘者の数も非常に多くなっていたのです。

また意外にも墓の盗掘は犯罪行為にはなりませんでした。

法律上、遺体は誰かの所有物ではなく、窃盗罪の対象にならなかったからです。

ただ法律は許しても、民衆たちは遺体集めに奔走する外科医たちの狂気を許容できませんでした。

人々は「自分の体も盗まれるのではないか」と不安に駆られ、解剖医を糾弾する騒動も起きています。

しかし死体盗掘者の行動はどんどんエスカレートしていきました。

新鮮な遺体を手に入れるため、ついに一線を越え始めます。

そう、人を殺したのです。

当時、バークとヘアという死体盗掘者が16人を殺害し、その遺体をロバート・ノックスという外科医に売った事件が一大スキャンダルとなりました。

これを機に「解剖法」が1832年に制定され、救貧院と死体公示所の遺体のうち引き取り手が見つからないものは、すべて解剖医に回されることになります。

ジョンが殺人者たちから遺体を買ったかどうかは定かでありません。

ただ彼は葬儀業者に金をつかませて遺体を手に入れることをしていました。