判例は「未必の故意で足りる」とする見解をとっており(最高裁判例昭和28年1月23日)、これに続く下級審の裁判例(福岡高判昭和32年4月30日)もあって、故意の一般理論にも沿うものとなっている。

つまり、虚偽告訴罪については、「正当な告訴・告発の不当な制限になってしまう」との論拠も相応に説得的であり、確定的故意を要すると解すべきとする学説も有力だが、それにもかかわらず、判例は不要説に立っており、実務も、未必的故意で足りるとの前提で運用されているのである。

「死者の名誉毀損罪」での「虚偽の事実の摘示」についての確定的犯意の要否

では、230条2項の死者の名誉毀損はどうか。

この点について判例はなく、実際に、死者の名誉毀損罪で起訴された例は、少なくとも公刊物上は存在しない。

本罪では、保護法益についても争いがある。「遺族の名誉」とする見解、「死者に対する遺族の敬愛ないし敬慕の情」とする見解、「死者の歴史的、社会的評価の保護」とする見解、「死者自身の名誉ではあるが、それは個人的法益ではなく、公共の利益である」とする見解等に分かれている。

保護法益を「死者の歴史的、社会的評価の保護」とする見解からは、死者に対する歴史的評論が困難になるという点が重視されるので、正当な歴史的評論のためには、故意の一般理論を排除して「確定的認識を必要と解すべき」とする見解につながる。

もっとも、正当な歴史的論評であれば、刑法35条の「正当業務行為」として違法性が阻却され、結局のところ、犯罪の成立は否定されるので、いずれにしても、歴史的論評について「死者の名誉毀損」が問題になる余地はほとんどない。

本罪が親告罪とされ、死者に親族および子孫がいない場合には処罰はあり得ないことからしても、遺族感情が法益に含まれないと解することは困難であり、保護法益を「死者に対する遺族の敬愛ないし敬慕の情」ととらえるのが妥当だと考えられる。