たとえば、シュレディンガーの猫に再び登場してもらいましょう。箱の中の猫が“生存する”可能性と“死ぬ”可能性がともにある状態では、観測(箱を開ける行為)が起こる前から世界はそれらを含んだ総合的な量子状態にあります。
そして観測が行われた瞬間に「猫が生きている」状態を観測する世界と、「猫が死んでいる」状態を観測する世界の両方が、ひとつの大きな量子状態の中で分岐する──つまり、「どちらの可能性も本当に起こっている」のです。
イメージとしては
分岐前:「生きている猫」+「死んでいる猫が」が重ね合わせとして共存している
分岐後:「猫が生きている世界線」と「猫が死んでいる世界線」が独立して存在する
となります。
多世界解釈は重ね合わせは否定しないものの、波動関数の収縮という(エヴェレットからみれば意味不明な)状況を認めないことを代償に、分岐する世界を創造したのです。
そしてその後は「猫が生きている世界線」と「猫が死んでいる世界線」が互いに触れ合うことなく、独自の歴史を辿ることになります。
この「収縮を認めない」アプローチは当初、物理学界からはあまり注目されませんでした。エヴェレット自身も若くして研究を離れ、表舞台にはほとんど出なくなってしまいます。
この時点で多世界解釈は有力な仮説としては死んだと言えるでしょう。
しかし後年、ブライス・デウィット(Bryce DeWitt)らの研究によって再評価され、いまや多世界解釈は量子力学の有力な解釈の一つとして広く知られるに至りました。
デウィットは、量子宇宙論や場の量子論の観点からも 多世界解釈が矛盾しないことを示そうとします。
特に重力を含む量子理論(量子重力)を考えた際に、観測者や外界との境界を曖昧にする必要があるとされ、コペンハーゲン解釈よりむしろ MWI の方が自然なのではないか、という議論が生まれました。
こうした流れは後にスティーヴン・ホーキング(Stephen Hawking)やマーティン・リース(Martin Rees)といった宇宙物理学者の議論にも影響を与え、宇宙論と量子基礎の接点で多世界論が取り上げられる下地となっていきます。