そしてこの問題は科学哲学にも普及していきます。
猫の話に戻れば、「観測」が行われるまで猫は生と死を重ね合わせているのかもしれません。
しかし、もし箱の中の猫自身が「観測者」だとしたら?
あるいは「見ている人」以外にも観測者は成り立つのでは?
こうした突き詰めた問いが、「意識」と量子力学の結びつきまで論じる議論や、「観測者」と「被観測系」を同等に扱おうとするアプローチを生み出しました。
そこで登場したのが多世界解釈です。
多世界解釈(MWI)とは何か
前章で触れたように、一般的な量子力学の説明では「観測の瞬間に波動関数が収縮する」という不思議なプロセスが登場します。
しかし多世界解釈では「そもそも不思議な収縮など起こらない」とする主張が根底にあります。
多世界解釈の源流となったのは、アメリカの物理学者ヒュー・エヴェレット3世(Hugh Everett III)が1957年に発表した論文「“Relative State” Formulation of Quantum Mechanics」です。
彼は量子力学が従うシュレディンガー方程式が「常に成り立つ」ことに注目します。
通常の解釈では、「観測」という過程だけはなぜか特別扱いされ、そこだけ波動関数が収縮すると考えられていました。
エヴェレットは、なぜ観測だけが特別なのか、どうして自然界にそんな“二重基準”が必要なのか、と疑問を抱いたのです。
またエヴェレットはこの中で「波動関数の収縮」をあえて認めず、観測者を含む宇宙全体が常にシュレディンガー方程式による進化(ユニタリー進化)だけで記述されると提案しました。
ある意味で「シュレーディンガー方程式の普遍性と物理学にダブルスタンダードを許さない純粋さ」が多世界解釈誕生の原動力となったと言えるでしょう。
そして観測による波動関数の収縮を認めない代わりに、エヴェレットはあらゆる可能性が実現する「並行する世界」が次々に生まれると考えるとする多世界解釈に辿り着きます。