問題は、その「やり取り」のメカニズムを量子力学的に厳密に追求したときに、通常の解釈では「観測に伴う波動関数の収縮」が追加で必要となる点です。

先に触れたシュレディンガーの猫でも、放射性崩壊が起きるか否かというプロセスが重ね合わせになるとき、系全体のエネルギーの扱いが微妙になります。

測定をして「猫が死んでいる」とわかった瞬間、その間にどこかで崩壊エネルギーが放出されたはずですが、猫が死んでいない枝では崩壊エネルギーの放出そのものが起きていません。

もし重ね合わせ状態が“一つの結果”へと収縮するなら、もう一方で想定されていたエネルギーの行方はどうなるのでしょうか?

ジョン・フォン・ノイマンも論文にて、このように「測定によって保存則が一瞬破れるかのように見える現象」について指摘しており、観測問題と併せて保存則問題は研究者たちの頭を悩ませています。

というのも、量子力学の予測は本質的に確率的であり、多数回の実験を行ったときの「統計平均」では保存則が満たされると考えられています。たとえば100回、1000回と同じ測定を繰り返して得られる平均値は理論と合致するでしょう。

しかし「たった一度きりの測定」に着目したとき、果たして保存則をどう考えればいいのか?という疑問が浮かびます。

古典的な直感なら、「1回の測定においても保存則は破れないはずだ」と思いたいところですが、通常の量子論的には「重ね合わせ状態のどの要素が実現するかは確率的」という説明にとどまってしまうことも多いのです。

しかし多世界解釈はこの問題を鮮やかに解決しています。

多世界解釈では、観測の結果が複数あればそれぞれの可能性がすべて別の世界で実現すると考えます。

したがって、運動量が“突然増えた”ように見える結果が出ても、並行世界のどこかでは“減った”世界があるかもしれない。それらをすべて合わせて考えれば、トータルの保存則は破れていないと解釈できるわけです。