例えば空港の立地って世界中で色々問題起きがちで、というのは巨大都市に近い土地って色々と利権が絡むしそこの土地に元々住んでいた人たちとの関係性とかが難しい問題に発展することがありますよね。
そういう課題について、成田の土地問題が延々と揉め続けた事で、「アジアのハブ」を韓国の仁川国際空港に取られてしまった・・・みたいな形で、「無数に無数にいるステークホルダーの利害調整」に時間を取られないように、「有力者」の顔さえ立ててれば納得感が生まれるというのは、(繰り返すように賛否両論あるでしょうが)一定の合理性はある。
そういう「無数の色んな人々の意見がバラバラでまとまらない」みたいな状況を避けるために、「三割のみかじめ料」を払うことで「頭良い人が考えた壮大なプロジェクト」を押し通すことが可能になる・・・ってことですね。
この本の中では、そういう「地方の名士」的な存在である「土皇帝」みたいな存在は、地域を私的な領地のように経営した問題はあったが、そういう存在は地域社会をよく理解していて、何が必要で何が必要でないかを知っており、引退してから近所の住民に恨まれたくないので、地元を大切にする政策に着地をするよう心を尽くした・・・というような評価もしています。(それが習近平時代になってから徐々に強烈な中央集権化によって、中央から派遣されて現地に何の思い入れもない存在に置き換わってしまった問題もあるらしい)
田中角栄的な存在が生きていた頃の日本が、こういう「大域的な合意形成が必要な話題」をある程度うまく処理できていた側面もあった・・・というような現象に近い論点がここにはあるように思います。(ただ角栄時代とはいえ中国ほどの”汚職度”では全然なかったような感じもしますが)
ただなんにせよ、日本人と比較して、中国人は「実力者の意向を汲んでそれに合わせて動かないと!」という精神はものすごくある人たちなんだな、というのは感じましたね。