またBlakeらの研究でも触れられているように、所得格差の大きい地域は総じて都市化が進んでいる例が少なくありません。
都市化が進むほどSNSインフラも整備され、また多種多様なライフスタイルや価値観、ファッションが混在するため、競争が可視化されやすい環境が形成されます。
さらに都市環境では、隣人や地域住民だけでなく、SNSを通じてはるか遠方の人物とも“隣人感覚”で比較が可能になるため、「どこまでいっても上には上がいる」という状況が固定化されやすいという特徴があります。
所得不平等が激しい都市ほど、相対的な比較の対象や規模が大きくなるため、女性が外見的投資を通じて“差をつけたい”というインセンティブが際限なく強化されるのです。
常に比べられる状況では、人間は無限の競争地獄に晒されてしまいます。
同様の現象は非西欧社会でも見られます。
中東や北アフリカ地域など、宗教上の服装規定(ヒジャブやアバヤ着用など)が強い地域では、SNS上のセクシュアライズされた投稿は少なく見えます。
しかし一部研究では、そうした地域でも富裕層の女性による「プライベート・インスタグラム」などのクローズドコミュニティで、比較的大胆な服装やメイク写真が共有されている事例が報告されています。
これは「公的な場面と私的な場面の二重基準」が存在し、所得が高い女性ほど私的空間での性的自己表現を楽しむ余地があることを示唆します。
なお、これらの事例は十分な統計データが得られにくいため、Blakeらの研究ほど大規模な数値的検証は少ないのが現状ですが、「文化的・宗教的規範 + 所得不平等」が女性の自己表現行動に複雑な影響を及ぼしうる点を示す貴重な示唆となります。
極論すれば、女性が「競争に勝つために脱ぐ」という現象は、西欧文化圏に留まらず人類という種そのものの性質に起因する可能性があるわけです。
人類の理性について理想論を持つ人には認めがたいものかもしれませんが、人間も動物の一種と考える進化論的な枠組みでみると、女性の行動は決して理不尽ではありません。