エバースタットはその結果として、「慣れ親しんだ社会的・経済的流れを根底からひっくり返し、・・・・・・富裕国の経済成長を妨げ、社会保障制度を損い、繁栄の持続への期待が脅かされる」(同上:15)と予想した。
「枯死」するかどうかは別として、もはや不可逆的な「老化の波」が日本を始めとした先進国はもとより、「これから高齢化していく貧困国」(The poor, elderly countries of the future)にも押し寄せることは間違いないであろう。なぜなら、途上国はこれまでのような富裕な先進国からのODAなどの経済的支援が期待できなくなるからである。
高齢化の併進と認知症患者の増加以上のエバースタットの認識を受け止めると、「少子化する高齢社会」ではともすれば「人口減少」が「子どもの減少」のみに関連付けられやすいが、富裕な先進国では高齢者の増大=認知症患者の増加=介護負担の重荷という等式にも配慮しておかないと、社会的対応がうまくいかないことは明瞭である。
家族でも政府でも単独では対応できないエバースタットはその問題については、「世界で高齢化と人口の縮減が進むと、人的、社会的、経済的なコストが増大する」(同上:16)としたが、そのコスト負担を政府だけに任せても成功しないと考えている。かといって、もはや小さく縮んだ家族には負担能力は存在し得ない。
各国の現状を正視すれば、「家族はますます小さくなり、結婚する人は減り、子どもを持たぬ人々が高い比率を占める」(high levels of voluntary childlessness)ようになった(同上:16)。
北西ヨーロッパにおけるこの1世紀の「福祉国家」の経験から、「政府が家族の代役をする」(Governments may try to fill the breach)ことは計り知れない負担コストがかかってしまうことになる(同上:16)。そしてこれはピケティが多用する「社会国家」(État providence)でも同じである注4)。
Magic formula