なぜなら、豊かになった国ほど「自立性、自己実現、個人的自由の探求」のために「家族からの逃走」(flight from family)が鮮明になっているからである(同上:21)。

エバースタットは、家族をつくろうとしない現代人に「見知らぬ人のために究極の犠牲を求めるのは、いかに重たいことか」( how much more so a demand for the supreme sacrifice for people one has never even met?)とのべて、ロシアによるウクライナへの侵攻における「膨大な犠牲」触れている。

「若干の創意工夫と適応力を越えるもの」の発見競争

最終的には「人口減少時代」は「人類社会を根底から変える」(Depopulation will transform humanity profoundly)とまとめながら、もう一方では「人類は世界で最も創意に富み、適応力のある動物」(humans are the world’s most inventive, adaptable animal.)なので、なんとかなるとした(同上:22)。

しかしその場合でも現状における家族や子どもの出生がもたらす将来的な結果については、若干の創意工夫と適応力を越えるもの」(it will take more than a bit of inventiveness and adaptability)が必要だと締めくくった(同上:22)。

以上がエバースタット論文についての私の要約とコメントであるが、最終的には課題が冒頭の問題意識に重なった。なかでも「結婚からの逃走」と「家族からの逃走」という「個人的規範と行動」の問題について、今後は社会学の立場から追究したい。

注1)もっとも2025年元旦の『日本経済新聞』では、相変わらず「世界の人口は2025年に2000年比3割多い約82億人に達する。50年には25年比2割弱多い約96億人となり、100億人に迫る」とした(『日本経済新聞』2025年1月1日号)。ただし、この両者の予測は国際関係の研究者とマスコミの姿勢の差によるので、どちらが正しいとは言いがたいが、研究者としてはエバースタットの研究姿勢を評価したい。