もちろん地域や時代に差があるものの、人類史がいかに“血塗られた”ものであったかを想像するには十分な数字でしょう。

これらを総合すると、狩猟採取時代に高い殺人率を示した人類は、農耕時代の到来によっても必ずしも「殺し合い」をやめる方向には進まなかったことがわかります。

ここで、生物進化の一般的な原則を振り返ってみましょう。

一般的に生物は、その死因に適応して生き残るために進化します。

もしある生物種の最大の死因が「栄養不足」ならば、彼らは基礎代謝の低下や脂肪蓄積システムの効率化を進化させるかもしれません。

逆に主要な死因が「外敵に襲われること」ならば、分厚い皮膚、強固な骨格、または非常に速く走る脚などを獲得する方向に進化するでしょう。

つまり生物は、自分を多く殺すものから逃れるように形質を変化させ、生存率を高める傾向があるのです。

では、人類の場合はどうだったのでしょうか?

もしあ私たちの種族(人類)が、飢餓でもなく、猛獣でもなく、「仲間」によって殺されるリスクが高いという現実を突きつけられたら――いったいどんな進化を遂げるでしょうか?

次のページは、この問いかけに対する人類の答えとも言える進化の道筋を追いつつ、承認欲求の謎にも迫っていきたいと思います。

仲間殺しが人類にもたらした進化

仲間殺しが人類にもたらした進化
仲間殺しが人類にもたらした進化 / Credit:Canva

もし「仲間殺し」が主要な死因の1つであれば、私たち人類はどんな進化を遂げるのか?

私たちの体を見てわかるように、人類は分厚い皮膚や素早い脚を手に入れていないのはわかります。

代わりに私たちは「噂話や悪口の共有」という特殊な方法を発達させました。

単なるゴシップ好きが進化の結果とは信じがたいかもしれません。

ところが、霊長類学や進化心理学の研究からは、人間のゴシップ行動がサルの“毛づくろいに相当する“社会的な絆づくりに大きく寄与していたという見解が示されています。