美味しい食事や素敵な場所を紹介したいと思う心理が無いとは言いません。
しかしこれらの投稿の本質は、極言すれば自慢あるいはアピールであり、現在の私たちはこれを承認欲求のために行っていると表現します。
しかしこれまでの話を総合すれば、このような承認欲求は、自らの価値をアピールを通して殺されないために自分を証明する古代的処世術が、SNSという新しい舞台で行われていると解釈できます。
つまり、現代の人類が「承認欲求」と呼んでいる現象は、脳が想定以上に大きな集団(SNS)に接した結果、自分の存在意義を常に示さなければ排除される(=殺される)と無意識下で考えてしまうことに起因します。
言葉を変えれば「承認欲求」は古くから議論されてきた「社会的欲求」の現代版ラベリングに過ぎないのです。
狩猟採集時代には自分が役立ち・優位性・有用性を訴え、仲間内での地位を確保するのにそこまで苦労はしませんでした。
150~200人程度の集団では誰もが顔見知りであり、毎日のように自己アピールをしなくても自分の価値を周知させ、脳を安心させることができます。
しかしSNSの世界には場合によっては数億人もの集団であり、自己アピールを無限に続けなければ、脳は安心することはできません。
もし巨大な災害や戦争などで人類の集団規模がふたたび150~200人ほどにまで縮小すれば、今ほどの「承認欲求ブーム」は起こらないでしょう。
世界全体が狩猟採集時代さながらの小集団に戻れば、一人ひとりの行動は必然的に互いにリアルタイムで共有され、SNSで必死に自己開示する必要がなくなるかもしれません。
炎上は「攻撃する側に回りたい」という本能のせい
SNSにおける炎上や誹謗中傷、集団攻撃などの現象も、同じ構造で説明がつきます。
人類の原始的脳は「殺されるより殺す側に回るほうが安全」という思考回路を優先しがちです。
そのため無意識的にSNSを徘徊して「殺される側となり得そうなターゲット」を探すようになってしまいます。