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「SW」のかっこいい宇宙船や、妙に生活感のある機械類に、当時の日本のアニメやまんがや映画やテレビ関係者は目がくらんで、「銀河鉄道999」等でも負けじとその類似品を画面に出しまくった。

一方で宮崎は冷静で、SWの本質が古式ゆかしき姫様奪還物語であることに着目し、更にはそれを別の銀河系ではなくヨーロッパのどこかにある架空の王国の冒険譚、すなわち王道の「ルリタニアン・ロマンス」に回帰させることを目指した。

SWは(ジョン・ウィリアムズの派手な勝利祝賀音楽とともに)おとぎ話に留まり続けて終わるが…

宮崎は「ルリタニアン・ロマンス」の常道に沿って、おとぎの国を立ち去る切なさを描いた。

どうしてルパンの頭部と、道路が重なっている(赤線でマーク)のか、わかるだろうか?

『ルパン三世 カリオストロの城 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期』より

彼の目線はなお姫を向いているけれど、心はもう次に向かっているのである。

例の軽自動車が左から画面に入ってくる(赤の矢印)。 ルパンが駆け去っていく。 目線はなお彼女に向けながら。

目はなお姫様を向いているけれど(青) 体はもう次に向かっている(赤)

道路にルパンの頭が重なり(青の矢印)目線はなおこちらを向いている(赤の矢印)…たったこれだけで別れの辛さを映像言語にしてみせている。

園丁の老人、姫様のふたりの頭部、そして去り行く者たちの自動車が、見ての通り一直線上に配置される。

それからひめさまの右腕が、山並みを突き抜けて配置されている。一方で頭部は山並みより下側。

別れを受け入れる心を、まっすぐ伸びた右手に託して強調する。

おじいちゃまの頭部と、彼女の右手が、カット内で同じ高さに置かれている。おじいちゃまも手を振っているのだ。見た目はそうではないけれど、私たち観客の心にはそうイメージされる。

忠犬カールの頭部が、丘の斜面上に配置されている。 ルパンとその追っかけ一隊の去り行く車に視線を送っている映像演出…