代表戦でのケガの影響もあり、リーグ戦6試合出場に終わり、チームも最下位で2部に降格。家庭の事情もありC大阪への復帰を決意するが、買い戻しに使った移籍金は150万ユーロ(約1億8,000万円)だ。C大阪は主力選手のキャリアに傷を付けられた上に、わずか半年間の“短期留学”で6,000万円もの出費を余儀なくされ、得をしたのはハノーファーのフロントと代理人だけという結果に終わった。
その後、2019シーズンにヴィッセル神戸に電撃移籍した山口。その移籍金はJリーグ間の移籍では破格ともいえる約2億円だった。当時、若手にシフトしつつあったC大阪と、本気で優勝を目指しその目標を達成した神戸の双方においてメリットをもたらした移籍劇となった。
家長昭博(川崎フロンターレ)
移籍元:ガンバ大阪(2004-2010)
移籍先:マジョルカ(2011-2013)
監督交代で一気に窓際に追いやられた不運
ガンバ大阪ジュニアユース時代、本田圭佑としのぎを削り合い、本田を押しのけてユースに昇格(ユース昇格を逃した本田は石川県星稜高校に進学)、高校3年時の2004シーズンにプロ契約を結んだクラブ希望の星だったMF家長昭博。
当時のG大阪は西野朗監督の下で着々と強化が進み、翌2005シーズンにJ1初優勝を果たす。攻撃陣には日本代表MF遠藤保仁(2024年引退)をはじめ、MF二川孝広(2022年引退)、MFフェルナンジーニョ(現アトレチコ・パラナエンセ)、FW大黒将志(2020年引退)、FWマグロン(2004年引退)といった面々が揃い、家長は出場機会を求めて、大分トリニータ(2008-09)セレッソ大阪(2010)へのレンタル移籍を繰り返すが、C大阪ではJ1復帰初年度にも関わらず3位の好成績を残す原動力となった。
そして2010年オフに、スペイン、ラ・リーガのマジョルカへ完全移籍を果たす。2015年までの4年半契約で、推定移籍金は移籍金400万ユーロ(約4億5,000万円)。しかし入団からしばらくは、EU外国籍選手枠の問題で選手登録されなかった。