苦難は続く。代理人のフォンセカ氏が、違法な仲介をしたとしてポルトガル・サッカー連盟から訴えられたのだ。この中には中島の移籍にも不正な点があるとされ、行き先を失った中島は双方合意の上でポルトとの契約を解除し、新たにトルコ1部スュペル・リグのアンタルヤスポルと2年契約を結んだ。
新天地での再起を期した中島だったが、ヌリ・シャヒン監督とも打ち解けることなく、入団2戦目でホームデビュー戦となったアダナ・デミルスポル戦で後半14分から途中出場すると、わずか15秒後にサッカー人生初のレッドカードを受けるという洗礼を浴びる。
さらにクラブの財政難による給与未払いにも遭い、2023年7月、未払い分の年俸を放棄した上で、アンタルヤスポルとの契約を解除し退団。同時に浦和レッズへ完全移籍した。実に6年ぶりのJ復帰を果たし、背番号「10」を与えられたものの、往年のキレは消え失せ、22試合出場1得点という結果に終わる。その時、中島の年齢はすでに30歳になっていた。
まだ現役のため、復活の道がないわけではないだろう。しかし中島が歩んできた足跡を振り返ると、サッカーの実力以外の部分で道を踏み外し、損ばかりしてきた印象だ。加えて、代理人の“オモチャ”にされ、クラブからクラブへ転がされ続けてきた不運も目立った。
マトモな代理人と出会っていれば、どんな選手に育っていただろうか…。そんな悔恨が残る名手だ。
食野亮太郎(ガンバ大阪)
移籍元:ガンバ大阪(2017-2019)
移籍先:マンチェスター・シティ(2019)、ハーツ(2019-2020)、リオ・アヴェ(2020-2021)、エストリル(2021-2022)
シティの「青田買い戦略」の犠牲に…
ジュニアユース(中学生年代)からガンバ大阪に所属し、ユース時代には高2で既にトップチームに合流し、高3にしてJ3リーグに参戦したガンバ大阪U-23の一員としてJリーグデビューしたFW食野亮太郎。その活躍ぶりが認められ、トップチームの試合にもベンチ入りを果たすと、ルヴァン杯で得点を記録するなど、次世代のG大阪を象徴する存在として頭角を現す。