中島は、2017/18シーズン10得点12アシストという好成績を収めて、ポルトガルリーグの年間ベストイレブンに選出され、翌2018/19シーズン途中までチームの中心選手として活躍。日本代表にも選出され、新たに就任した森保一監督はMF香川真司(現セレッソ大阪)の後を継ぐ背番号「10」を彼に託した。
しかしここから彼のサッカー人生は転落の一途を辿っていく。2019年2月、日本人史上最高額となる移籍金3,500万ユーロ(約43億7,500万円)でカタール・スターズリーグのアル・ドゥハイルへ完全移籍する。この移籍は賛否両論を呼び、中島はこの移籍はあくまでも自分自身の決断であり、代理人の口車に乗せられたわけではないことを、動画配信でファンに説明する事態となった。
そのわずか5か月後、今度はUEFAチャンピオンズリーグ(CL)優勝経験(1986/87、2003/04)もあるポルトガルの名門ポルトへの完全移籍を果たす。背番号「10」を背負い大出世したかに見えたが、このシーズン、28試合出場で1得点3アシストに終わり、代表へも招集されなくなっていった。
さらにはコロナ禍の2020年3月、リーグが中断を余儀なくされる中、ポルトはリーグ戦再開に備えて練習を始めたものの、5月中旬以降、中島は練習参加を拒否。代理人は「新型コロナ感染を恐れ、日本人家政婦が帰国してしまった。中島の夫人は幼い娘の世話で忙しく、しかも喘息の持病があるため、中島が夫人と娘の面倒を見なければならなくなった」と説明した。
しかし、これがセルジオ・コンセイソン監督の逆鱗に触れ、フロントも「中島は不良債権。クラブにとって頭痛の種だ」と言い放った。結局中島はUAEのアル・アインや、ポルティモネンセにレンタル移籍することになるが、今度はケガが彼を襲い、ほとんど試合に絡めないままポルトへと戻る。しかし、かつてのようなキレのあるプレーは見る影もなく、チームに居場所はなかった。