2003/04シーズンを前にフリーの身となり、デンマークのノアシェランに移籍。10月5日のヘアフュルエ戦で、デンマーク・スーペルリーガでデビュー。しかし、後にデンマーク代表となるGKキム・クリステンセンにポジションを奪われ、出場機会を失っていった。
欧州挑戦を続けた3シーズンでの出場は通算20試合に終わったことで、日本代表での序列も変わり、同い年のGK楢崎正剛(当時名古屋グランパス)にレギュラーポジションを奪われた川口。2002年W杯日韓大会では控えに甘んじた。
2005シーズンにジュビロ磐田に移籍しJ復帰、その後、FC岐阜(2014-2015)、SC相模原(2016-2018)を経て、現役引退。日本サッカー協会のナショナルトレセンコーチを務め、現在は磐田でGKコーチを務めている。
GKとしての能力以前に、言語の壁に跳ね返された印象が強いが、その後、GK川島永嗣(現ジュビロ磐田)、GK権田修一(現清水エスパルス2024シーズンで退団)、GK中村航輔(現ポルティモネンセ)、GKシュミット・ダニエル(現ヘント)、GK鈴木彩艶(現パルマ)、GK小久保玲央ブライアン(現シント=トロイデン)らが欧州移籍を果たしている。その道を作ったのは、間違いなく川口氏なのだ。