広島からの契約延長オファーを断った上で、長谷部、香川と同じトーマス・クロート氏と代理人契約し単身渡独。ドルトムントとホッフェンハイムのトライアウトを受けるが入団はならず、本人は「浪人も覚悟した」と肩を落として帰国したが、同年限りで浦和レッズの監督を解かれてケルンのスポーツディレクターを務めていたフォルカー・フィンケ氏の目に留まり、フリーでの完全移籍を果たす。

デビュー戦となる2011年1月29日のザンクトパウリ戦で先発出場したものの、チームは0-3の完敗。これが最初で最後の先発出場となった。以降は途中出場が多くなり、翌2011/12シーズンにはセカンドチームでの出場という屈辱を味わい、J復帰を決意する。

槙野が選んだのは古巣の広島ではなく、恩師のミハイロ・ペトロヴィッチ監督が就任した浦和だ。半年間のレンタル期間を経て完全移籍に移行し、2021シーズンまで2度のJ1優勝と天皇杯優勝に貢献。特に2021年の天皇杯決勝(大分トリニータ戦/2-1)では、自らが後半アディショナルタイムに決勝ゴールを決める千両役者ぶりを見せた。

しかしながら、広島のサポーターは槙野の浦和への移籍を“裏切り”と断じ、引退した今でも許していない者が多い。それは、12月14日、槙野が現役最後に所属したヴィッセル神戸の本拠地ノエビアスタジアム神戸で開催された引退試合に招かれた広島OBが、ともに浦和に移籍したGK西川周作と、今シーズン限りで引退の元愛媛FCのDF森脇良太のみだったという事実が裏付けている。

現在は解説者と並行して、神奈川県社会人サッカー1部の品川CCで監督を務めながら、S級コーチライセンス取得を目指している槙野氏。移籍の経緯や特異なキャラクターから選手時代は“アンチ”も多かったが、監督ライセンスを1年でも早く取るために、2022年に移籍した神戸では1シーズンのみのプレーで引退を決めたという。