欧州移籍は失敗に終わり、代表でもレギュラーポジションを掴むことはできなかったが、広島時代も浦和時代もチームリーダーでムードメーカーでもあった槙野氏。ライセンス取得後、どのような監督になるのか、期待して待ちたい。


川口能活 写真:Getty Images

川口能活(2018年引退)

移籍元:横浜F・マリノス(1994-2001)
移籍先:ポーツマス(2001-2003)ノアシェラン(2003-2004)

日本サッカー史上最高のゴールキーパーさえも…

日本サッカー界初となるGKの欧州移籍。GK川口能活は1994年、清水市立商業高校主将として全国高校サッカー選手権大会で優勝し、鳴り物入りで横浜F・マリノスに加入。2年目にレギュラーポジションを奪取すると、チームはヴェルディ川崎を下し年間優勝し、川口自身も新人王を獲得した。1996年アトランタ五輪では、ブラジル代表を破る“マイアミの奇跡”を演出。常にスター街道を歩んできた。

そんな川口の獲得に動いたのは、イングランドのEFLチャンピオンシップ(実質2部)のポーツマスだった。推定移籍金はポーツマス史上最高額の270万ポンド(当時のレートで約3億2000円)、年俸約5,000万円という破格の契約だった。2001年11月3日のシェフィールド・ウェンズデイ戦(3-2で勝利)で英国デビュー。翌2002年1月4日のレイトン・オリエント戦では、日本人選手として初めてFAカップに出場した。

しかし、ウェストハム・ユナイテッドからトリニダード・トバゴ代表GKのシャカ・ヒスロップが加入すると、川口の起用は激減。ポーツマスの会長からは「日本に帰った方がいい」と心ない言葉を浴び、朝起きるのも辛かったと本人は当時を振り返っている。チームは2002/03シーズンに優勝し、プレミアリーグに昇格したものの、川口はプレミアリーグに出場できないまま、英国を後にした。