トルシエ監督はアフリカ各国を指揮し、日本代表監督(1998-2002)勇退後にはカタール代表監督(2003-2004)を務めていたが、2004/05シーズンにリーグ・アンの名門オリンピック・マルセイユの監督に抜擢。中田は2004年のJリーグのシーズン終了後、トルシエ監督が招いた形で、マルセイユの練習に参加した。獲得を打診するが、当初に提示された移籍金が低額だったため、鹿島アントラーズ側は中田の移籍を認めなかった。

マルセイユ移籍を望んだ中田は、鹿島からの契約更新を拒み続け、結果2005年1月にフリーでの移籍を果たす。しかし、これを機に欧州移籍を希望する選手の「ゼロ円移籍」が頻発するきっかけとなり、日本サッカー界にとっては悪しき前例となってしまう。

中田はその後、トルシエ監督のマルセイユ退任と共に出番を失い、スイス・スーパーリーグの名門バーゼルに移籍。主力として優勝にも貢献したが、「移籍金ゼロ」での復帰を願う鹿島側と約3億円の移籍金を要求したバーゼルとの交渉は決裂。結局、リーグ戦佳境の2008年4月の契約満了とともに鹿島に復帰した。


ミゲル・アンヘル・ロティーナ 写真:Getty Images

財前宣之(2012年引退)

移籍元:ヴェルディ川崎(1995-1998)
移籍先:ログロニェス(1996)HNKリエカ(1999)

あの中田英寿が「天才」と呼んだ男も…

Jリーグ創設間もない1993年8月、日本で開催されたU-17世界選手権(現U-17W杯)で、日本代表の背番号10を背負ってチームを8強に導き、大会ベストイレブンに選出されたMF財前宣之。後に日本を代表する選手となる中田英寿をして「上手すぎて近寄りがたかった。ひと言で言えば天才」と言わしめた。

当時、読売ユース(現東京ヴェルディユース)に所属していたが、1995年にトップチームに昇格する。当時のヴェルディ川崎は、ラモス瑠偉(1998年引退)武田修宏(2001年引退)北澤豪(2002年引退)ビスマルク(2003年引退)さらにセリエA・ジェノアへのレンタル移籍から復帰した三浦知良(現アトレチコ鈴鹿クラブ)も名を連ねた超の付くスター軍団。