アルゼンチン人のアルディレス氏は1978シーズンから10シーズンにもわたり、トッテナムの中心選手として活躍。その間、1982年にはイギリスとアルゼンチンの間ではフォークランド紛争が勃発したにも関わらず、トッテナムのサポーターは彼を愛し続けた。
そんなアルディレス氏の“推薦”もあってレンタル移籍を果たした戸田だが、恩師の期待には応えられず、ケガなどもあり、わずか公式戦4試合出場に終わる。
さらに試練は続く。翌2004シーズンにはオランダ1部エールディヴィジのADOデン・ハーグに再レンタルされ、一時はレギュラーポジションを奪取したものの、持ち前の球際の激しさで、ことごとくファールを取られ、挙げ句、そのストレスをメディアにぶちまけてしまう。
「こんなクソみたいなサッカーをするチームで、ちょっとしか出られない僕は本当にクソなんだろうなと思い、腹が立ちました」この言葉によって、クラブのみならずサポーターも敵に回してしまい、“デン・ハーグ史上最悪の助っ人外国人”のレッテルを貼られてしまう。そして2004シーズンのセカンドステージに清水へ復帰することになった。
現在、現役時代の尖ったキャラクターとは正反対で、理路整然とした口調の人気解説者として活躍している戸田氏だが、欧州では苦汁を舐め続けた。その経験が、欧州サッカーの試合解説においても、選手たちへのリスペストという形で表れているように思える。
中田浩二(2014年引退)
移籍元:鹿島アントラーズ(1998-2004)
移籍先:オリンピック・マルセイユ(2005-2006)
欧州への「ゼロ円移籍」の道筋を作ってしまった悪しき前例に…
DF中田浩二もまたW杯日韓大会で、フィリップ・トルシエ監督の看板戦術「フラット3」の一員として、日本代表の16強進出に大きく貢献した1人だ。