そのヨーロッパの中でも西欧・南欧諸国が16~18世紀にかけて突然豊かになったのは、いわゆる産業革命(蒸気機関を利用した綿紡績・綿織物工業の機械制大量生産化)のお陰ではありません。産業革命が本格化するのは18世紀も半ばを過ぎた頃のことです。

その前に、カリブ海諸国でサトウキビを栽培し、そこから搾汁、砂糖精製までを黒人奴隷を使って一貫生産できるようになったので、当初はスペイン・ポルトガル、やがてオランダ・イギリス・フランスが急激に富裕化したのです。

このへんの事情は、エリック・ウィリアムズ著『資本主義と奴隷制』(ちくま学芸文庫、2020年)とシドニー・W・ミンツ著『甘さと権力――砂糖が語る近代史』(ちくま学芸文庫、2021年)の2冊が必読の名著です。

中でももっとも大々的に三角貿易を展開したイギリスの場合、リヴァプールやブリストルの港町から武器や日用品を積んで出港した貿易船が、アフリカ大陸西岸で積み荷を売って黒人奴隷を買い付けます。

その奴隷たちを船倉にすし詰め状態で積み込んで最小限の食糧を与えながら西インド諸島(のちには南北アメリカ大陸のプランテーション集積地)まで航海しますが、劣悪な船内環境や偏西風に逆らう航路で風向きなどによる遅延・漂流もあり、積み込んだ奴隷の約2割は航海中に命を落としていたと言います。

そして、当初は西インド諸島の砂糖やラム酒、のちにはタバコや綿花を積んでイギリスの港町に帰港するわけです。この三角貿易は決してきれいごとの世界ではありません。

それでも、中間航路の目的地が西インド諸島だった頃には、先住民のほとんどはヨーロッパ人が持ちこんだ疫病によって死滅してしまったために、先住民を虐殺しながら黒人奴隷に入れ替えていくという作業は、あまり必要ありませんでした。

しかし、舞台が北アメリカ大陸に移ってからは事情が一変します。広大な平原に適度に草木が生い茂り、それほど大きな自然災害もないところで平和に棲み分けをしていた先住民(インディアン)の諸部族はあまり真剣に武器を開発する必要も感じない状態で暮らしていました。